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蒼の光風

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ある、水無月の日

■ 京都編終了後、3年経過。宗次郎は流浪の途中、蒼紫はまだ禅寺通いをしている設定です。
 
蒼紫はある水無月の日、会いたくもない青年に再会する。その青年の「教えて欲しいこと」を察した蒼紫は必死に撒こうとするが……。

「志々雄の死の真相」を巡り葛藤する、蒼紫と宗次郎のお話です。





「えーー? 蒼紫様、今日もあの禅寺ですか?」
「あぁ」
「今日こそ翁と考えた新名所京巡り散歩を決行しようと思ってたのにー?」

 蒼紫は葵屋を一歩出て、空を仰ぎ見て今日の天気を確認する。今日は昼頃から一雨来そうだ。お山のその先に雲がかかっていることと、いつもより空気が湿っていることからそれが分かる。そんな姿からも蒼紫の慎重さがよく表れていた。

「…………。行ってくる」
「そんなぁーーーーーっ!! あおしさまーーーーっ!!」
「まぁまぁ、操ちゃん。私が後で付き合ってあげるから」
「またお増さんとじゃつまんなーい!」
「………ハァ」

 操の必死な絶叫を冷酷なほどに無視をして、蒼紫は唐傘を手に結局操に一瞥もくれずに葵屋を後にした。程なくして京都では名の通っている料亭葵屋から、操の不満気な声が響き渡る。道行く人々はこの光景にもすっかり慣れ、操と蒼紫の仲睦まじい(?)姿が見られる、微笑ましい日常風景となっていた。今日も今日とて、操の提案をことごとく冷酷なまでに無視をする蒼紫に、不貞腐れる操を宥めるお増が一方的に心労が溜まっていくだけの、いつもと変らない光景だったりするのだが。





ある、水無月の日





 いつもと変らぬ道順で禅寺へとゆっくりと歩を進める。水無月の頃に咲くあの瑞々しく、小振りな花が寄り集まって大振りとなっている青々とした花、紫陽花が美しく咲く禅寺へ通うことが蒼紫の日課となっている。そこへ向かう道中の裏路地でも大振りの紫陽花がひしめきあうように蒼の小山を築いているので、蒼紫はこの道を好んで通行していた。だが今日は。今日だけは違う道を選ぶべきだったと蒼紫は後悔した。心底悔いた。その禅寺へ向かう道中で会いたくもない昔馴染みを発見してしまった。どうか見つかりませんようにと、元隠密よろしく気配を消し、足音を消し慎重に歩行を進めたが無駄な努力だった。感情が欠落しているはずの青年が、元隠密の消された気配に機敏に反応するのは、その青年もまた死地の乗り越えてきた歴戦の猛者であったからだ。

「………あれぇ? なんだか懐かしい気配だなーって思ったら、四乃森さんじゃぁないですか。お久しぶりですねぇ。お元気そうでなによりです」
「………瀬田、こんなところで何をしている」
「見て分かりませんか? 紫陽花を観ていたんですよ」

 お互い会話が噛み合っていない。こんなやり取りも志々雄のアジト以来だった。いや、正確には瀬田と交わした会話らしい会話は、個室を提供された際に瀬田がアジト内の諸注意をとうとうと述べ、そこで生じた疑問を解決するために仕方なく言葉を交わしたくらいだ。その際も瀬田は天然なのかわざとなのか、人をおちょくるような口調で答えたくない返答をさらりと交わしていたから、蒼紫はほとほと疲れ果て、噛み合う会話そのものを諦めた。その後蒼紫は瀬田との会話を極力避け、瀬田もその空気を読んでか必要最低限の会話しかしようとはしてこなかった。つまり、お互いに掴んでいた相手の戦力情報以外の事は全く知らないといっても過言ではない。

「………ここは京都だぞ」
「そうですね。京都は桜の季節もいいですけど、紫陽花の季節もまた格別だと思うんです」
「…………」
「嫌だなぁ。そんなに睨まないで下さいよー。僕を誰だと思っているんですか? 警察なんかに捕まる僕じゃありませんよ」
「不要な心配……だな」

 互いに会話の深読み状態だ。蒼紫は瀬田の真意を見破るべく、冷ややかな視線を注ぐ。紫陽花の瑞々しく精彩は輝きを放つ裏路地に似つかわしくない、剣呑とした空気が流れる。そんな緊張感満載の空気を一切気にしていないと言わんばかりの、始終微笑を称えた瀬田。こいつの笑顔は人が真面目になればなるほど人を小馬鹿にしているように見える。これだから苦手なのだ。

「ところで、四乃森さんはどこかへお出かけですか? 僕もご一緒していいですか?」
「なぜそう思う」
「こんな晴天の空の下、唐傘下げて行くなんて、どこかへ遠出するからじゃあないんですか?」
「…………」


―――大方瀬田は、志々雄の死の真相を知るためにわざわざ危険を冒してまで訪ねて来たに違いない。けれど今更知ってどうなるのだろう。瀬田は確かに一度、志々雄を見捨てている。当時は知らなかったが、後から緋村からこの事実を聞いて愕然とした。俺は自分を庇って死んでいくような、愚かにして愛おしい部下しか知らない。それだけに瀬田の非情な行動が許せない。だから志々雄の死の真相について、語ってやる気は毛頭ない。………その必要もない。


「着いてくるな。邪魔だ」

 吐き捨て、蒼紫はその長い足を大きく広げ、逃げるように足早に去っていく。だがそんな努力も、天剣の前では実るはずはなかった。自分より小柄であるはずの青年が、なんの苦労もなく息も切れることもなく、蒼紫の後を堂々と着いてくるのだ。そんな瀬田を撒こうと入り組んだ路地に入ったり、時には茶屋に隠れてみたりと一通りの努力をしてみたが悉く徒労に終わった。振り向けば張り付いたようなニコニコ笑顔がそこに居るのだ。

「前から思ってましたけど。四乃森さんって本当付き合いが悪い方ですねー。いいじゃないですか、ご一緒するくらい」
「俺はお前と関わらずとも何も困らないからな」
「冷たい人だなぁ」


―――随分と必死だ。俺の行動から語る気がないという事は十分察せられる筈だ。そんなに勘の悪い男ではない筈………。そうまでして志々雄の最後を知りたいと思えるようになったということだろうか。………否。それは俺の予想でしかない。本当に瀬田がそう考えているのか実際のところは分からない。だから本人に真意を確かめるしかない。それに俺も人のことは言えない。俺も一度は翁をこの手に掛け、操たちを裏切った。こんな俺が瀬田を責められる道理はないな………。


 蒼紫は深い深いため息を付き、諦めて禅寺へと急いだ。あれから随分時間が経てしまっている。先ほどの晴天から一転、風が強まり空には雲がたちこめ始めていた。空気も先ほどより多く水分を含んでいる。これは急がないと一雨きそうだ。

「随分遠回りをするんですねぇ。四乃森さんが向かってるのって、紫陽花が綺麗と有名なあの禅寺でしょう?」
「………なぜ知っている」
「お忘れですか? 僕が四乃森さんの事を調べあげたんですから。当然四乃森さんの行き着けの場所くらい知ってますよ」

 蒼紫は歩を止め、瀬田を睨み付ける。志々雄との同盟を結ぶにあたって身辺調査をされたことは当然の事であろうが、まさか自分の趣味思考、しかも当時は行きつけではなかった禅寺の事を知られていたのが、心底気味が悪かったのだ。もしや志々雄一派はいまだ暗躍していて、瀬田はその組織の諜報活動を担っているのではないか…と、そこまで考えて否定した。当時はまるで志々雄の傀儡人形のようだったこの男が、志々雄亡き自ら後積極的に動くとは考えにくかったからだ。

「………」
「アハハ。最後のは冗談です。僕にとってもここは歩き慣れた土地ですから。裏路地や撒くのに丁度良い道は当然熟知していますよ。だから何処に向かっているのか分かっただけですよ」
「………」
「本当ですって。信じて下さい」
「………」
「もう。本当に僕、四乃森さんに信頼されてないんだなー。ちょっと心外です」
「今も昔も、信頼しあう間柄でもないだろう」
「それもそうですね。アハハ」

 当時も苦手と感じていたが、ここまで苦手な相手だとは思わなかった。感情欠落のせいで何を考えているか分からないのもあるが、ここまで掴めない奴だったとは予想外だった。こんなことになるならば、とても気は進まないが操の提案を呑んでいればよかったと思う。操はただ五月蝿いだけで邪魔ではない。操は思考が単純で扱いやすいからだ。瀬田は五月蝿いだけでなく胡散臭く感じる程考えていることが上手く掴めない。瀬田と会話を交わすだけで、頭痛がするほどに慎重に発する言葉を考え、瀬田の発言の意図を吟味しなくてはならない。………傍にいるだけでこれほどまでに疲れるのだ。

「俺は禅を組みに行くだけだぞ」
「じゃあ、僕も一緒に禅とやらを組んでみようかなぁ。アレってただ座っているだけでいいんですよね? 丁度雨も降りそうだし、雨宿りに丁度いいかな」
「………ハァ。好きにしろ」
「はい! 好きにします」

 “退屈そうですし、僕帰ります” の台詞を期待した蒼紫が馬鹿を見てしまった。一人静かに禅を組み、豊饒な時間を過ごそうと思っていただけに、冷静無表情を常とする流石の蒼紫もため息を隠さなかった。

「………着いてくるなら、俺の邪魔をするなよ」
「酷いこというなぁ、邪魔なんかしませんよ」


………既に邪魔なのだが。蒼紫は喉まで出掛かって言葉の飲み込んだ。きっと暖簾に腕押しだろう。









 とうとう禅寺へ続く石階段に着いてしまった。瀬田は瀬田で宣言通り着いてきてしまった。始終不機嫌そうに無言で禅寺へ急ぎ向かう蒼紫と、始終人好きのする微笑を浮かべた瀬田。そんな両極端な二人の珍道中は蒼紫にとっては苦難そのものでしかなかったが、瀬田はそんな二人を客観的に眺めては面白がっているようだ。………そんな態度が不愉快でたまらない。

 二人は石階段を上り、鳥居をくぐり、形だけの参拝を済ませてから本堂へ続く廊下に上がりこむ。その一連の動作を当たり前のように蒼紫は誰とも挨拶も無言の会釈すらも交わす事もなく行う。そうしてやはり足早に本堂へ向かう。宗次郎は僧一人ひとりに律儀に挨拶をし頭を下げながら、それでも一定の速度を保って蒼紫の後を追う。禅寺の僧たちは当たり前のようにそんな蒼紫と見知らぬ同行者の来訪を受け入れてくれた。それらの行動に疑問をもった瀬田が目を合わせることで回答を求めている。

「………この禅寺のご住職と翁は懇意の仲でな。その関係で俺はここを好きに使っていいと言われている」
「へぇ。四乃森さん、ちゃんとこの地域の人々に受け入れられているんですねぇ。一度は京都の破壊に加担した人とは夢にも思えませんよ」
「………何が言いたい」
「おっと。蛇足でしたね。スミマセン」

 もちろん本堂ということで音量は控えている。だから恐らくこの会話は二人にしか聞こえていない。そう願うばかりだ。蒼紫と瀬田が上がりこんだ本堂は、僧たちに綺麗に磨きこまれていて、板張りがまるで鏡のように輝いている。個室として区切ることも出来、開け放たれた障子からは山の斜面に植えられた紫陽花の小山と小山とが連なり、まるで蒼色を敷き詰めたかのような山脈が眺められた。柱と柱が調度額縁のようにも見え、まるで絵画から飛び出してきたような美しさだった。

「うわぁ……。綺麗ですねぇ。まるで蒼の世界に迷い込んだみたいです」
「………あぁ。まさか瀬田と見ることになるとはな。紫陽花に不憫なことをした」
「四乃森さんって、以外と毒舌なんですね」
「………」

 それ以後蒼紫はだんまりを決め込み、先ほどの宣言通り本堂の中心に座し禅を組んで瞑想を始める。磨きこまれた板張りに座すと、体が芯まで冷え切ってしまいそうなほど冷ややかだ。その冷たさが却って瀬田を意識的に遠ざける助けになることを、蒼紫は切実に願った。瀬田はそんな蒼紫の真似をして、禅を組もうと特殊は座法に果敢に挑戦するも、あの複雑に入り組んだ足がどうしても真似できず、最終的に胡坐に落ち着いた。

 瀬田も始めは蒼紫に付き合って形だけの “禅” を組んでいたが、しばらくすると飽きたようで旅の道中で遭遇した愉快な話を振舞ったり、寝転がってみたり、はたまた音程が取れていない鼻歌を歌ってみたりしていたけれど、頑として反応を示さない蒼紫にどんな行動も無駄だと悟り、とうとう大人しく再度胡坐を組み直すのだった。










 蒼が支配する世界に一滴の雫が降ってきたと思った瞬間、一気に雨足が強まり、とうとう本降りになってしまった。紫陽花はその天の恵みに喜び、大いに水分を吸収して輝きを増している。水無月特有の肌に張り付くような雨も、この光景一つで最高の演出となってしまうから不思議だ。そして、蒼紫はこの光景を好んでこの禅寺に足繁く通っていたのだ。

 だが瀬田は違うようだ。雨が本降りになったとたん、人が変ったように張り付いたような笑顔が消えていた。

「………僕、雨が苦手なんですよね。昔から」
「濡れるからか」
「………それも苦手なんですけど…。なんて言うのか、なんとなく、落ち着かなくなるんです」
「………そうか」

 瀬田はつまらなそうに蒼紫を見る。その目はまるで自分にかまって欲しいときに操がよくしている、あの寂しげな表情に似ていた。感情が欠落しているはずの瀬田から、こんな表情をされるとは思ってもみなかった蒼紫はいささか驚いた。志々雄の傀儡人形だったこの男。笑顔以外の感情の一切をそぎ落とし、無になる事で十本刀最強の称号を手にしていたこの男が。懸命に人間に戻ろうと足掻いているこの姿こそが、とても人間らしく見えたのだ。

「………ねぇ、四乃森さん。僕が聞きたいことがあってわざわざ会いに来たこと、気が付いていたんでしょう?」
「あぁ」
「具体的な内容にも、大方想像付いていたんじゃないんですか? だから僕を撒こうとした」
「あぁ」
「………もう、人が悪いなぁ四乃森さんは。気が付いていたんだったら、すぐに教えてくれたら僕だってここまで着いて来たりしなかったのに」
「志々雄の死について、京都の往来で語るほど俺も無神経じゃない。それに志々雄の事は緘口令が敷かれている」
「………そうですよね………」

 地獄から吹き出たような灼熱の焔とともに始まったあの出来事を、まるで鎮火するように降り続く雨。その清廉な光景をしばらく眺めていたが、雨が苦手だと独白した瀬田の顔は思った以上に青白く、一見泣いているような、しかし笑っている表情を浮かべていた。

「志々雄さんに出会ったのも、こんな雨の日でした。僕は、家族中に虐待されている、弱くて可哀想な少年でした」
「………」
「四乃森さんには信じて貰えないでしょうけど、僕だって志々雄さんに感謝しているんですよ。………だから、あれから始めてアジトに行ってみたんです」
「あそこに行ったのか」
「えぇ。もう綺麗に片付けられていて、何も残っていないことを期待していました。……だって、あれからもう3年経っているんですから。なのに、焼け焦げたままの姿で時代から取り残されていました………。まるであの頃の志々雄さんみたいに」
「………志々雄の事が調べられる唯一の場所だからな。警察が一通り調べ終わるまで現状維持をしている」

 紫陽花には雨が似合う。その言葉通り紫陽花が瑞々しい輝きを放っている。その神々しくもある輝きを発しながら、こちらに迫ってきている気がする。この美しい光景が、他者の血で全身くまなく汚れている俺にとってはむしろ毒だ。決して俺を癒す清涼剤とはならない事を嫌という程識っている。だからこそ、この美しい世界に身を置く事でこの美しい世界に受け入れてもらえるように蒼紫は足繁くこの禅寺に通うのだ。………少しでも、前へ進むために。

 しかし、世間的になにもかも終わっているはずなのに、瀬田の中ではまだ何も解決していないあの出来事は、警察が緘口令を敷き志々雄の存在そのものを歴史から消すことで一応の収束を見ている。存在しない志々雄の一派を公で裁けるはずもなく、十本刀の一部は政府の恩赦を受け、いまでは各地で活躍していると聞いている。………一人取り残されている、瀬田を除いて。大久保を暗殺したこの男は、もし警察に捕まれば別の無実の容疑を被せられ裁判すら許されず死刑台送りにされるだろう。瀬田自身もそれを自覚しての逃亡なのだろう。その事実が自分より小柄な青年が、さらに小さくちっぽけで、弱弱しい生き物へと仕立て上げている。

「感謝していたのなら、なぜ見捨てた」
「………なんででしょうね。見捨てた、っていうつもりはなかったんですよ。これでも」
「………大方、緋村になにか余計な事を言われたんだろう」
「えぇ。 “手遅れでなくば、今からでもやり直しはきくのではないか” って言われました」
「実に緋村らしい、お綺麗な綺麗ごとを言われたな」
「………緋村さんと仲の良い四乃森さんもそう思います? 本当、綺麗ごとですよねぇ………」

 もし “過去をやり直す” 事が出来るのならば、 “後悔” などしないのだ。全てがもうどうしようもなく手遅れで、過去の事実は変ってくれない。もしも時間を遡ることができるのなら、今度こそ後悔しない方法を探すだろう。けれどそんな事出来ないから、過去の過ちを振り返り後悔することしか出来ない。こんな風に醜く足掻いて傷ついてみることしかできない。それがとても苦しいのに、緋村は俺や瀬田にそれを強制したのだ。

 突き動かされた、と言ってもいいかもしれない。緋村の言葉は、今でも俺たちの心に突き刺さって離れない。それも、心に負った一番深く傷ついた部位に深く突き刺さっていて、ことあるごとに痛んで痛む部分を伝えてくるやっかいな刃だ。だからこの言葉の刃を抜こうと足掻くのかもしれない。その足掻きが傷を癒していくものだとは知らずに。

 結局、俺たちは良く似ているのだ。どこか感情が朧で、なおかつその朧な感情にすら自ら蓋をしているところまで実に良く似ている。だからだろうか。瀬田を見ているとなぜか怒りにも似た感情を覚えたのは。自分を見ているようで見ていられなかった。目を逸らそうと思っても、つい心配でハラハラしてしまう。そんな自分に気がついて怒りを覚える。それの繰り返しだった。これが同属嫌悪、というやつだったのかしれない。そんな良く似た二人が同じ男に救われているというのは、なんとも滑稽な話だ。

 そんな事実が重く圧し掛かるように、雨雲で薄暗かった空が、先ほどよりも薄暗くなっている。しとしとと降り続く雨と紫陽花の蒼の世界が、さらに色濃く二人を包んでいる。そこに先ほどまでの輝きはない。時計がないから正確な時間は分からないが、もう夕方が近いのだろう。

「今更真相を知ってどうする」
「例え綺麗ごとでも、緋村さんの言葉を信じてみたいから。からじゃないかなぁ。多分」
「志々雄の死の真相を知ればやり直せるのか」
「………それは………。けれど、僕は一度目を背けてしまいましたから。こんな僕のままじゃあ、前へ進めない気がするんです」
「………死から目を背けるな、か。お前は俺と違って志々雄を悪霊にしなかったんだな」
「………えっ?」
「こっちの話だ」

―――俺は暗闇に落ちてしまうほど、何もかも壊してしまいたくなるほどあの四人の死が受け入れられなかった。緋村を恨み最強の華を目指す事でしか生きる意味を見出せなかった。あの四人が俺を必要とし、依存しているのかと思っていた。けれど実際は、あの四人を必要とし生きる理由にして依存していたのは俺の方だった。緋村に諭され、目を覚ますまで、あの四人を悪霊にして凶剣を振るってた事にも気がつけなかった。そんな己の弱さが今でも腹立たしい。

瀬田、お前は違うのか。

 操られるだけの傀儡人形だった自身の糸を、志々雄を見捨てることで自ら切り落としたとでもいうのか。否、断ち切るためにわざわざ危険を冒してまで京都まで俺を訪ねて来たのか。いずれにせよ、生きている事を志々雄のせいにせず、自ら変ろうと足掻いているお前は俺より遥かに強い男だ。そう認めざるをえないだろう。ならば、そんな男の決死の覚悟に報いてやるべきだろう。胸に突き刺さって抜けない刃に苦しむ瀬田を、救う手助けをしてやってもいいだろう。

「止めを刺したのは緋村じゃない」
「そんなの。聞くまでもなく分かりますよ。だって、緋村さんは僕より強かったのに、殺そうと思えば殺せたのに、僕を殺さなかった。………敵を生かそうとするなんて、つくづく甘い人ですよねぇ、緋村さんって」
「緋村はそういう男だ」
「………。それなら、やっぱり。志々雄さんは……」
「志々雄は自らの炎に焼かれて死んだ。これが俺の知る志々雄の死の真相だ」

 一瞬の静寂。地獄の焔の中から生まれた一人の男は、この世を地獄の炎で焼く事なく地獄の焔の中に還された。そんな男と十年もの長い月日を過ごし、生きる術を叩き込んでくれた人の最後に目を背けたその男の横顔は、前髪に隠されて一切の感情を読む事が出来なかった。

「………。なんだか志々雄さんらしいや」
「緋村を恨むか」
「志々雄さんは元々、15分以上戦えない体でした。志々雄さんの言葉を借りるなら、所詮この世は弱肉強食。弱い者は死に、強い者だけが生き残る。それが本当に真実なのだとしたら、志々雄さんが15分以上戦えない弱い体だったから死んだ。ただ、それだけの事です。だから、緋村さんを恨む道理はありませんよ」
「そうか。ならば良い」

 眼前に広がる、薄暗い蒼の世界。雨によって洗い流された世界は清廉にして冷ややかに、しかししっかりと二人を包み込んでいる。雨の音だけが本堂に響き渡るこの風景には、あのとき確かに感じていた地獄の焔の面影は一切見感じられない。先ほどより雨足は強まり、これでは例え唐傘を指していてもずぶ濡れになってしまいそうだ。しかし、今はその風景が何より有難かった。日の光の前では、その逆光に身を焼かれてしまいそうだったから。

「………じゃあ、僕はそろそろ行こうかなぁ」
「志々雄の死の真相を知ってどう感じた」
「………。なんとなく、すっきりしましたよ。志々雄さんは自分の信念を貫いて死んでいったことに、安心したのかもしれません」
「お前はそれで歩けるのか」
「…………。今までだってどうにかなったんです。これからだって、どうにかなりますよ」
「俺もお前も、死んでいた方がよっぽど楽だったのにな」

 瀬田はどこか遠くを見ていた。いつもと変らぬ微笑を貼り付けているが、その笑顔の下に隠しきれない悲しみの色が見えた気がした。しかしそれは一瞬にして掻き消える。柔和な笑顔を蒼紫に向け、懸命に感情に蓋をし何も感じまいとする悲惨にして悲痛な、そんないつもの瀬田に舞い戻っていた。

「そうかも、知れませんね。けれど、悪い事だけでもありませんよ。例えば、こんなに綺麗な紫陽花が観れたりだとか」
「………紫陽花の花言葉を知っているか」
「いいえ」
「 “あなたは美しいが冷淡だ” や “無情” なのだそうだ」
「うわぁ。僕たちにぴったりな花だなぁ。嫌になるほどに」
「操が “蒼紫様のような花ですね” とよく嫌味を言うものでな。覚えてしまった」
「仲のよろしいことで、何よりです」

 冷やかすように瀬田は言う。こんな俺にも。帰りを待っていてくれた人がいた。帰る場所があった。だから俺は闇の淵から帰ってこれた。最強の華は得られなかったが、それよりも温かく大切なものを手に入れた。今はそれがどれほどかけがえのないもので、脆いものかを知っている。だからこそ、この蒼く美しい世界に受け入れて貰える自分を望むのだ。たとえ死んでいたほうが楽でも、後悔に苛まれ苦しみ足掻くことになろうとも、生きていくことを後悔しないために。………瀬田は一体こんな雨の中どこに行くというのだろう。あの頃の俺のように、光の差し込まない薄暗い樹海のように、入り組んだ暗闇に舞い戻ってしまうことはないだろうが、それでも。

「雨が上がるまでここに居ればいい」
「………え、いいんですか」
「俺も少々冷えた。粗茶だが振舞おう」

 俺とよく似た瀬田が、蒼く美しい世界の下、朧な感情にさらに蓋をしなくてもいい居場所を得られるといい。少なくとも、苦手だという雨の町を彷徨い歩く事がなくなればいいと思う。そう願わずにはいられない。そんな、ある水無月の日。



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